渡邊 優2021年7月16日梅雨も明けて本格的な夏びより。ここ湘南はこれからが本番です。日差しも強く、海開きもして人が増えてきました!サザンの曲が流れてきて気持ちも軽やかに上がってきます。人々の上半身裸の姿や、短パンTシャツのラフな姿を見ていると、ここに住めて本当に良かったと思う。なんというか、自由。それが心地良いのです。明日は久々に友人とのサーフィン。海に浸かってリフレッシュしてきま〜す!
梅雨も明けて本格的な夏びより。ここ湘南はこれからが本番です。日差しも強く、海開きもして人が増えてきました!サザンの曲が流れてきて気持ちも軽やかに上がってきます。人々の上半身裸の姿や、短パンTシャツのラフな姿を見ていると、ここに住めて本当に良かったと思う。なんというか、自由。それが心地良いのです。明日は久々に友人とのサーフィン。海に浸かってリフレッシュしてきま〜す!
自分を救うために私のこの日記でもちょくちょく出てくる「他人の評価」「他人からのジャッジメント」「他人の裁き」これが嫌というパターンがあります。 パターン的にはこれをされると、何だかバカにされている気がするし、上から目線で見られている気がする、そうであると不快感を抱き、腹が立って、悔しい、とパターンは言います。 そして今選んでいる白パターンが、もう他人の評価に囚われて自分を苦しめるのはやめよう、です。 これは、自分
力を抜くあっ、これパターンだな・・・と思った時、できるだけ力を抜くようにしています。 そうすると不思議と体だけではなく、心の力も抜けて、身構えていたり、緊張していたり、こうあらねばと凝り固まっていた心のひだが解けていくような感覚になります。 そのままの自分でいいとは、どうにかなろうとしなくていいし、どうにかしようとしなくていいのだと思いました。そのままの自分で、できるだけのベストを尽くせばいいし、ただ手は
相手の中に自分を見る誰かの言動に引っ掛かり、パターンが騒ぐ時、相手の中に自分を見ている気がします。 同じパターンを持つ相手に、自分を見ている気がするんです。そう思った時、この相手が何だかわかる気がしました。他人は自分の鏡とはこういうことかもしれません。不思議な感覚でした。 他人を通して自分を知り、自分と他人への理解も深まるのです。 相手を知り、理解することができるのも、黒パターンのお陰だと思いました。 そうやって相手