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  • 執筆者の写真渡邊 優

他人との関係って、結構あっけないものなのかもしれないと思いました。

それは大切にされたい、認められたい、必要とされたい、愛されたい、などのパターンを他人から満たさなくてもよくなったとき、きっと本当の意味で、他人を尊重できる関係性なのだろうと思います。

それはもう、他人によって自分を証明しなくてもよい、依存しない関係なのだと思います。


今思い返すと、強いグループや力のある人につくことで自分の弱さを補填したり、誰かに認められることで安心したり、君なら大丈夫だよと言われることで自信がつくなど、あらゆるところで他人を使っていたと思います。


それらは全てパターンが納得するものであり、本当の「私」がちゃんとパターンを理解してあげられたなら、パターン達は他人に頼らずともきっと安心して生きていけるのだろうと思うのです。

そうやって自分とパターンを尊重できるようになったとき、本当の意味で他人を尊重できるのだろうと思いました。


人には人の、それぞれの家庭、仕事、人生があり、それらを尊重できたときに一定の距離が保たれ、その距離がパターンと私の距離と同じように、他を尊重するのには必要な距離なのだと思いました。

そんな良いあっけなさが、人間関係なのかも。


最近の私の人間関係を見ながら、そんな気がしました。

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