top of page
  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2022年12月12日
  • 読了時間: 2分

自分を見ていて最近思うのが、プライドって厄介だな〜と思うんです。

私の場合、間違いやミスをしたとき、いつまで立ってもウジウジとそのことを考えて、自分を責めるんです。プライドというパターンが自分を許さないんですね。プライド自体が自分のハードルを上げているので、プライドにそぐわない自分に対しては、自分はダメだと言って自分を責め、傷つけます。もしかしたら自分はダメだと言っていたパターン自体が、プライドだったのかもしれません。


最近そのことに気づいてからは、ミスや間違いをした際は「今度からは気をつけよう」それだけに止めるようにしています。その方がよっぽど健全で、正しく生きていかれる気がします。それは過去にとらわれずに、今選ぶものとこれからの自分を優先しているので、心身が前向きになれるんです。


何となくですが、昭和の日本人には「反省することの美学」があるような気もします。

昔の学校では、反省のために廊下に立たされたり、反省文なるものを長々と書かされたのを覚えています。きっとそんな色々な体験から、長く反省することが良いことだと意味付けしてきたのかもしれません。反省は大事です。しかし反省しすぎるのも、自分を停滞させる原因となります。


反省は一回ちゃんとしたら、もう次に進むのが本来の在り方だと思いました。

私の場合、プライドというパターンはあらゆる自分に波及しています。

その一つ一つをしっかり見て、あらゆるワークや手法を使いながら、逃げずに向き合っていくことが、大事なことだと思いました。



 
 
 

最新記事

すべて表示
普通とは

両親や兄、そして祖父母を見ていて思ったのが、私は全く普通の人間だということです。 しかしパターンは特別になりたがります。特別な自分、特別扱いされる自分です。なぜならば、特別であれば皆んなから一目置かれて、自分のいうことを聞くし、思い通りに生きられると、そうパターンそうは信じています。そしてこの特別で在りたいパターンは劣等感の裏返しでもあります。特別になることで劣等感埋められると思っているので、そち

 
 
 
両親の終活

今週末は両親とまた旅行に行ってきます。 六月に行った修善寺温泉です。前回行ったのがよっぽど良かったのか、今回は母親が全部出すからと言って両親と兄の4人での旅行です。 そこで思ったのは、あ〜、私は全然気づいていなかったのだということです。 パターンでいるときは理想のを両親を求め、言われたことやされたことに囚われて、本当は愛されていたことに気づいていなかなかったのです。私には子供がいないのでわかりませ

 
 
 
大人とは

大人になる、その大切さを考えていました。 見た目の大人ではなく、内面的な大人です。自分で考え、自分で決めて、行動に移して行く、そしてその結果の責任も引き受ける。同時に自分の中で起こること、感情やパターンも引き受けるのが本当の大人だと思いました。 思い返せば私は随分甘えていたのだと思います。それは誰かの指示に従っている方が楽ですし、故にどこかで他責にできるからです。 そして他人に対しての怒りや恨みも

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page