top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

黒パターンは一見、苦しさや辛さを生み出すので嫌なもの、厄介なものと捉えがちですが、黒パターンがあるからこそ、人はそこから抜け出そうとして自分を見る努力を始める。少なくとも私はそうでした。そんな黒パターンは、人の成長には必要な要素だと思うのです。

黒パターンがあるからこそ立ち止まって考えられるし、改めて思い返すこともできる。そして違う選択があることにも気付ける。そういったきっかけを作ってきたのが、私の黒パターンだったのです。


そう思うと弊害となるだけが黒パターンではなく、見方となりあらゆる潤滑油(共感)として機能していけるのも黒パターンなのだと思いました。


黒パターンに対して、「そこにいてもいい」と言うフレーズが語りかけにはあります。

本当の意味で、いなくなってはいけない存在なのだとつくづく思うし、大切な存在なのだと実感しました。


少し、黒パターンへの見方が変わりそうです。



最新記事

すべて表示

私のこの日記でもちょくちょく出てくる「他人の評価」「他人からのジャッジメント」「他人の裁き」これが嫌というパターンがあります。 パターン的にはこれをされると、何だかバカにされている気がするし、上から目線で見られている気がする、そうであると不快感を抱き、腹が立って、悔しい、とパターンは言います。 そして今選んでいる白パターンが、もう他人の評価に囚われて自分を苦しめるのはやめよう、です。 これは、自分

あっ、これパターンだな・・・と思った時、できるだけ力を抜くようにしています。 そうすると不思議と体だけではなく、心の力も抜けて、身構えていたり、緊張していたり、こうあらねばと凝り固まっていた心のひだが解けていくような感覚になります。 そのままの自分でいいとは、どうにかなろうとしなくていいし、どうにかしようとしなくていいのだと思いました。そのままの自分で、できるだけのベストを尽くせばいいし、ただ手は

誰かの言動に引っ掛かり、パターンが騒ぐ時、相手の中に自分を見ている気がします。 同じパターンを持つ相手に、自分を見ている気がするんです。そう思った時、この相手が何だかわかる気がしました。他人は自分の鏡とはこういうことかもしれません。不思議な感覚でした。 他人を通して自分を知り、自分と他人への理解も深まるのです。 相手を知り、理解することができるのも、黒パターンのお陰だと思いました。 そうやって相手

bottom of page