top of page
  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2021年4月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年4月23日

「認められたい・・」特にこのパターンが騒いだわけではないのですが、いやに気になったので久しぶりに語りかけでこのパターンと向き合って見ました。


語りかけも以前のものではしっくりこず、新たに内容を作り替える、というひと手間をよくします。

今回もそのようにして、パターンに届く語りかけに変えてみました。


以前の内容と全く違ったところは、両親が出てきたというところ。両親から認められたいというパターンの本心は、両親に認められたら、自分に自信を持てるし、自分に価値も持てる、そしたら堂々と生きていかれる。というものでした。

語りかけをして、じんわりと何かが腑に落ちた。そんな気がしました。


私は今まで、自分がこうなったのは親のせい、親がそうだったから自分もこうなったのだと、自分の問題を自分で引き受けきれなかったのです。しかし、その状態も非常に辛いもの。両親に腹を立て、許せないというのも辛い状態なのです。それは負のエネルギーを糧にする"見返してやる"という復讐にも似た感情でした。この感情は人を疲弊させ苦しみの淵に追いやります。


そして考えたことがあったのです。私はこの両親の元で一体何を学びにここにきたのだろう?と。

今思えることは、「許し」と「理解」であると思うのです。

きっと両親も私と同じように「認められたい」というパターンは持っているのだと思う。それを得られずに苦しんだ。そういったことを理解し、許していく。


これも、今回のミッションの一つのような気がします。

 
 
 

最新記事

すべて表示
普通とは

両親や兄、そして祖父母を見ていて思ったのが、私は全く普通の人間だということです。 しかしパターンは特別になりたがります。特別な自分、特別扱いされる自分です。なぜならば、特別であれば皆んなから一目置かれて、自分のいうことを聞くし、思い通りに生きられると、そうパターンそうは信じています。そしてこの特別で在りたいパターンは劣等感の裏返しでもあります。特別になることで劣等感埋められると思っているので、そち

 
 
 
両親の終活

今週末は両親とまた旅行に行ってきます。 六月に行った修善寺温泉です。前回行ったのがよっぽど良かったのか、今回は母親が全部出すからと言って両親と兄の4人での旅行です。 そこで思ったのは、あ〜、私は全然気づいていなかったのだということです。 パターンでいるときは理想のを両親を求め、言われたことやされたことに囚われて、本当は愛されていたことに気づいていなかなかったのです。私には子供がいないのでわかりませ

 
 
 
大人とは

大人になる、その大切さを考えていました。 見た目の大人ではなく、内面的な大人です。自分で考え、自分で決めて、行動に移して行く、そしてその結果の責任も引き受ける。同時に自分の中で起こること、感情やパターンも引き受けるのが本当の大人だと思いました。 思い返せば私は随分甘えていたのだと思います。それは誰かの指示に従っている方が楽ですし、故にどこかで他責にできるからです。 そして他人に対しての怒りや恨みも

 
 
 

コメント


この投稿へのコメントは利用できなくなりました。詳細はサイト所有者にお問い合わせください。

​人成道

〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台

©2019 by 人成道. Proudly created with Wix.com

bottom of page