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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 2022年2月18日
  • 読了時間: 1分

私はジャッジをされることを極端に嫌う傾向があります。勿論パターンですが、ジャッジをされることは、ダメだしされる、見下される、馬鹿にされる、プライドが傷つく、低評価、舐められている気がすると思っています。しかし良いジャッジ、高評価をされた時には当然嬉しく思い、浮き足立って優越感を感じます。そしてそれをまた欲しがります。もっともっと、もう一回とエンドレスに。ケンウィルバーはこれをエゴの中毒と言っていました。


そして昨日カウンセリングの先生にも評価について訊いたところ、特に高評価の弊害として、高評価を手放せなくなる、傲慢になる、評価を与えられない人の気持ちがわからなくなる、普通の人の気持ちがわからない、というものでした。


人として一番大事なところがわからなくなる・・・

正直、そんな人間にはなりたくはないというのが本音です。


ジャッジメント、評価について新たな意味づけを持ち、何を選ぶのかを実践していきたいと思います。

 
 
 

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