- 渡邊 優

- 6月17日
- 読了時間: 1分
苦しみながら学ぶ、それが「私」の設定だったと昨日の先生とのセッションで教えていただきました。
まだ、その意味を深く理解できていませんが、私のパターンでは絶対にしない設定だと思います。
そもそも苦しみから逃れようとするのが私のパターンです。
語りかけの動機も、楽になりたかったから。学ぶ動機も、救われたかったから。そんな調子なので、苦しみに自ら飛び込むということはしないと思います。
でもなぜそのような設定になったのかを考えると、そうでもしないとこの私という人間は、自分のパターンに気づかないからだと思います。特に、自分はわかっている、知っているという俺様パターンは、痛い目を見ないと気づかない。だから、このような苦しみながら学ぶという設定になったのだと思いました。
そう考えると、苦しみには大きなプラスの意味づけがあると思います。
それは、苦しみには大事なことに気づくキッカケがあるということです。(パターンに気づくキッカケ)
恐怖、不安、苦しさ、辛さ、それらからは避けてばかりいた私ですが、これらのネガティヴな感情についても、もっと考えてみたいと思いました。
中立ワークですね。

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