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  • 執筆者の写真渡邊 優

思考はよく自分に嘘をつく。

自分は正しい、間違っていないと言い訳をし、自分を無理やり納得させる。

そして必死に言い訳をして駄目なやつだと思われないように自分を繕う。

周りの人達はそれほど自分のことを気にかけてもいなのにも関わらずです。

そんな体験を、過去に随分とやりました。


なぜか?自分に自信がないというのも答えになりますが、自分自身が他人をジャッジして見ていたと言う理由が、一番しっくりきます。

他人を見る眼差しが、そのまま自分もそう見られているだろうという眼差しとなる。


そんな風に他人を見るという眼差しを、自分を観察するという眼差しに切り替えてからは、全く違う目が養われます。

それは、リアルな眼差しです。

このリアルな眼差しは、今私はどうありたいか、をベースに外側の現実にどう行動するかを働きかけます。自分をよく観察し、自分をどう扱うか。

それは、私が本当はこう在りたいと思う動機や行動を選択させ、自分に敢えてチャレンジをさせたり、自分に厳しく課題を科すことは、自分を成長させることに繋がり、大きな喜びとなります。

この喜びこそが、魂の求めるものなのかもしれない。


そんな新たな眼差しを、これからも鍛えていこうと思います。



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