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  • 執筆者の写真渡邊 優

自分は正しい・・というパターン。

昔ほど強くはなくなりましたが、それでも私の中で息づいているパターンです。


昔、このパターンが強かった頃、本当に苦しかった・・・

なぜなら、自分の正しさに囚われ、他人の正しさよりも自分の方が正しいという正義感にも取り憑かれ、他人を正したくなり、自分の正しさを証明しようと必死になっていたからです。


自分の正しさを証明できたら、自分に価値を感じられたり、自己肯定感を持てたり、周りからも一目置かれると思っていました。そうやって、本当は弱い自分がバレないよう、たいした事ない自分に自らが気づかないよう、必死に自分を正しさという鎧で守っていた気がします。

だから苦しかったんです。本当の自分を隠していたし、許せなかったからです。


そして最近、またこのパターンが蠢くことに気がつきました。

以前とはまた違う「自分は正しい」があることにです。

この学びについて、自分の哲学について、今までとは質の違う正しさがあります。

しかし苦しさも伴うので、これはこれでケアし、また一つ向こうに行こうと思います。


もう、自分の正しさに囚われるのはやめようと。

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