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  • 執筆者の写真渡邊 優

普段私たちは、外側の出来事や事象を学び、体験し、そしてそこに集中することを教わってきました。

ですが自分に集中する、ということは中々体験していません。

自分が何を感じ、どう思い、どう考え、どういう時に不快感や喜びを感じるのか。

自分の心の声を聞き、悔しかった、腹が立った、辛かった、悲しかった、寂しかった、そんな自分の本音をちゃんと尊重することが、自分に集中するということです。


よく聞くのは、そんな風に自分を見るのはハードじゃないですか?しんどくないですか?という声です。腹がたつ自分、イライラする自分、凹んだ自分をダメだと思っていたら、自分の心の声を聞く行為はシンドイかもしれません。ですが心の声自体を、自分の手足と同じように捉え、あるがままに見ていけたら、傷ついた心たちはどれだけ救われるかと思います。


どんな心(パターン)も差別も軽蔑もすることなく受け入れたきっと、楽になれるのだと思います。逆の言い方をすると、自分の心(パターン)を差別し、軽蔑するから苦しいのだと思いました。


だから、意識して自分に集中するのは大事なことだと思います。

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