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  • 執筆者の写真渡邊 優

「自分は正しい」このパターンのケアを続けています。

なぜならば、この勉強をしているから自分は正しくて、わかっている、知っているというものです。


最初に思ったのは、このパターンが強いと、謙虚さが無くなってしまうと思いました。それは「自分が正しい」が故に、人よりも上だとも、先を歩いているとも思っているし、謙虚さは愚か、傲慢さすら生まれてしまうのではないか。そのように思いました。


しかし、本当に前を歩いて、上にいる者であれば、後ろを歩いている者の邪魔は絶対にしないと思いますし、困っていたり、助けが必要であれば惜しみなく力を貸すだろうと思います。

そう思うとこの黒パターンというのは、どこまで行っても利己的で、自己中心的なのだと思います。


しかし、このパターンが私には確かにある。

そして、傲慢さや、利己性や、自己中心性を嫌うパターンもある。それはレベルが低いから嫌だというものだったりする。


まずはこの両方のパターンを受け入れ、許していくところから始めるしかない。

最近いつも思うことですが、本当に自分しかないんだと、自分を見ていてつくづく思います。

他人がどうであれ、自分のことをやっていくしかないのだと。

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