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  • 執筆者の写真渡邊 優

肩書き・・・

お医者さん、教授、先生、社長、役員、部長、トレーナー、コーチ、主将、軍人、男、女、主婦、ピアニスト、芸術家、カウンセラー、政治家、etc


数え上げたらキリがない肩書き、そんな沢山ある肩書きに、お〜この人すげ〜、とか、きっと立派なんだろう、とか、大した事ないな、など、肩書きをもとに人を判断している時があると、先日の道場の個人セッションで気づきました。


そんな肩書きのことををよくよく考えてみると、肩書きとはただ一つの役割なのかもしれないと思いました。その役割に良いも悪いもないのかもなと。そんな肩書きを中立ワークで考えてみると、、、



肩書き

責任を全うする、その人を成長させる、専門性、他のために使う、世のために働く、そのために努力する


0 ただ一つの体験、ただ一つの役割、人による、絶対ではない


あぐらをかく、ふんぞりかえる、振りかざす、自分を満たすために使う、自分自身だと勘違いする、他をジャッジする



ちょっと考えただけでも全く違う意味づけが出てきました。

肩書きという一つの役割にどんな意味づけをもたらすのか、肩書きに振り回されず、それでいてちゃんと理解できる自分でありたいと思いました。この辺りの意味づけは定期的に点検していきたいと思います。

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誰かの言動に引っ掛かり、パターンが騒ぐ時、相手の中に自分を見ている気がします。 同じパターンを持つ相手に、自分を見ている気がするんです。そう思った時、この相手が何だかわかる気がしました。他人は自分の鏡とはこういうことかもしれません。不思議な感覚でした。 他人を通して自分を知り、自分と他人への理解も深まるのです。 相手を知り、理解することができるのも、黒パターンのお陰だと思いました。 そうやって相手

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