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執筆者の写真渡邊 優

正義の教室という、哲学入門の本を読みました。

哲学というとなんだかものすごく敷居が高く、難しい印象がありますが、高校生と教師の対話形式でストーリーが進む内容は、まるで漫画を読んでいるように非常にわかり易く、優しい内容となっており面白かったです。


その中で非常に興味深い実験がありましたのでご紹介します。

無知のヴェールという思考実験。

真っ黒な頭巾を被り、自分が何者かという条件を全て無くし、質問に答えるという実験です。

条件をなくすとは、名前も、人種も、年齢も、性別も、宗教も、自分に関するあらゆることがわからない状態です。記憶喪失です。

キリスト教徒かもしれないし、イスラム教徒かもしれましせんし、仏教徒かもしれません。白人かもしれませんし、黒人かもしれませんし、黄色人種かもしれません。異性愛者かもしれませんし、同性愛さかもしれませんし、両性愛者かもしれません。このようなに自分の情報がわからいない時、私たちは何か特定のものを優遇するような支持をするでしょうか?

例えば白人は優遇するけど黄色人種は優遇しない、男性は優遇するけど女性は優遇しないといったようなことです。


そして、こんな言葉から実験は始まります。

「あなたの人生は、今、終わりました」

「世界の全ては消え去りました」

「あなたはまだ、かつての記憶が思い浮かべられるかもしれません。が、それらはみな過去のもの。もはや意味はありません」

「なぜなら、もうその人生は終わったからです」

「記憶とは、ただの過去、ただの記憶、ただのデータです。そんなものより、未来に目を向けましょう。新しい設定のゲームを、人生を始めるのです」

「しかし、人生がどんな状態で始まるのか、それは始めてみるまでわかりません」

「あなたは女かもしれませんし、男かもしれません」

「黄色人種かもしれませんし、黒人かもしれません」

「同性愛者かもしれませんし、両性愛者かもしれません」

といった具合に、沢山のかもしれないから始まります。

そして質問に答えていくのですが、興味深いのはその答えです。

自分が何者かわからない、何者でもないとき、人の選択とは全て『善』を基本に決められていきます。

例えば、男性上位の政策や、白人至上主義の政策などは一切選ばず、男性であろうと、女性であろうと、黒人であろうと、白人であろうと、全ての子供や老人、全ての隣人、動物に、慈悲や優しさや愛の手が差し伸べられ、人種、年齢、性別を超えて、全員が同じ答えにたどり着くのです。

それはまるで、本当の「私」の資質である、優しさ、強さ、慈悲、理解、健康、創造、等々。

それらの資質から生まれる決断のようにも思いました。


もしかしたら人というものは、パターンや条件を外した先に、その人の本質が、善の本質が出てくるのかもしれません。

良かったら是非読んでみて下さい。


長文、最後まで読んで頂きありがとうございます。



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