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  • 執筆者の写真渡邊 優

毎週のバレエレッスン、楽しくやらせてもらっています。

私のバレエの先生は、自身の講演が近くになると、代行の先生が代わりに来て教えてくれます。

その時は内容も全く変わり、見ている視点、教える視点が変わるのが新鮮です。

しかし、変わらないことが二つあります。


一つ目が「基礎」というもの。

この基礎(バーレッスン)だけは、どの先生もスキップすることなく必ず丁寧にやり、しかも一番重視します。それほど、バレエにとっての基礎の重要さや、次への応用には欠かせないことがよく伝わります。

そしてもう一つが、人に対しての接し方、これも同じに感じます。それは、隠す、誤魔化す、言い訳する。この三要素の内一つでも出すと、先生はバッチバチに怒りますし、厳しくなります。


技術に対しては基礎、人に対しては姿勢。

きっとこの二つは、仕事であろうと、スポーツであろうと、趣味であろうと、どんなことでも、人が成長すということには欠かせないことなのだと思いました。

そして基礎も姿勢も他人ではなく全部自分。

自分の在り方、ということだけにフォーカスするのです。


バレエレッスンというバレエだけではなく、色々な正しさを学んでいる。

そんな気がしました。

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