• 渡邊 優

春のセンバツ高校野球。

私はプロ野球はまず見ないのですが、高校野球だけは別、毎年春夏楽しみに見ています。

大阪の甲子園まで応援しに行ったこともあります。隠れ高校野球ファンなんです。

その春のセンバツの中止、本っっっ当に残念でたまりません。


プロ野球とは違うあの直向きな姿、若者らしいガチンコな勇姿は観ているこちらも手に汗を握ります。

流れをつかんだときの怒涛のヒットの連続、ここでそれが出るか思うほどのエラーやフォアボールは未熟であるからこその人間臭さがあり、10点差からの逆転劇などは高校野球ならではのドラマと感動を私に与えます。(プロ野球はスマート過ぎて私にはちょっとつまらない)


どろどろになりながら一つのボールを追い、ついに来たこの甲子園という舞台。

その甲子園に向けてどれほどの努力をし、野球に全てを捧げてきた球児の気持ちはひとしおだと思いました。

その甲子園が中止となり、選手も、また関係者の方々もきっと残念で残念で堪らないと思います。

私も残念です。


直向きに頑張り、そして泣き喜ぶ、目の前のことだけに集中してプロセスの大切さや素晴らしさを教えてくれる高校球児には毎年勇気を貰っています。


今春は残念でしたが、また高校球児らしく直向きに努力して、私たちに勇気と感動を与えてもらいたいものです。

頑張れ高校球児!

夏の大会を楽しみにしています。



最新記事

すべて表示

もう抗わない

「思い通りにしたい」「思い通りじゃなきゃ嫌だ」「思い通りの自分じゃなきゃ嫌だ」 この私のパターンは、目の前の現実、もしくは現実の自分に抵抗し、抗っているのだと思いました。現実という世界に抗えば抗うほど、苦しさ、悔しさ、もどかしさは強くなり、それはまるで川の流れに逆らって泳ぐかの如く、もがき苦しむようです。 それは時に理想の自分像を追ってみたり、理想の結果を求めてみたりと、現実とは違う、何か理想郷的

夫婦喧嘩は犬も食わない

両親がめっちゃ夫婦喧嘩をしているんですね。 その模様が毎日LINEで父、母の両方から飛んできます。 その二人の内容は、お互い怒りに満ち満ちており、できる限り聞くようにしていますが、その度に私のパターンは騒ぐのです。 特に父に対しては「もっと母に優しくしてほしい」「もっと母を理解してほしい」このあたりが騒いでどうしても母親の肩を持ってしまう。 そうするとイラッとして、腹が立って、三行半をつけてしまう

待つということ

自分を待つ。 自分の成長を待ってあげる。この意味が当初理解できませんでした。 結果と成果が重視される社会にどっぷりと浸かっていた自分には、自分を待ってあげるということがどういうことか理解できなかったのです。 自分の成長、成果、結果をもっと早く手に入れたい。 そのあまりに慣れ親しんでいたパターンは、何事にも行動が必要で、努力があって、それに対する目に見える結果という対価が必要だと信じていたのです。