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  • 執筆者の写真渡邊 優

自分を待つ。

自分の成長を待ってあげる。この意味が当初理解できませんでした。


結果と成果が重視される社会にどっぷりと浸かっていた自分には、自分を待ってあげるということがどういうことか理解できなかったのです。


自分の成長、成果、結果をもっと早く手に入れたい。

そのあまりに慣れ親しんでいたパターンは、何事にも行動が必要で、努力があって、それに対する目に見える結果という対価が必要だと信じていたのです。

でも結局それは、早く自分が安心したかったり、それなりの結果を手にして自分を認めたいだけなんだと思う。別の言い方をすれば、さっさと思い通りの結果を手にしたいのだな。私のパターンは。


自分の成長を待ってあげる。これは自分を許すのと同義なのだと思いました。

自分を許す。どんな自分に対しても寛大になり、そして待つ。


もともと刺身しょうゆ皿ほどの器しかない自分。少しづつ少しづつ、できればカレー皿ほどの器まで育てていきたい。


そんなことを思うのでした。

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