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  • 執筆者の写真渡邊 優

最近ある人からサーフィンの認定試験に落ちたことを指摘され、私のパターンは酷く不快な思いをしました。パターン的には、お前に言われたくない、外野がいちいち評価するな、お前もやってみろ、等々、やってもいない人間からジャッジされたことに酷く腹が立ったのです。

またパターン的には自分よりも下、と思われる人間からのジャッジだったので、そこでも酷く腹が立ったのです。


そしてしばらくの間それを放っておきました。これぐらいの腹立たしさは問題なくスルーできると思っていたからです。しかし思い出すたびに腹の虫が治まりません。

そしてやっとワークをしました。ワークをして、パターンの言い分ををしっかりと聴き、受け入れると、その怒りはスッーっと引いていきました。それと同時に相手に対する許しのような感覚が生まれました。


自分のパターンを認め、許すことによって、他人に対しても許しの思いが生まれたのです。

そこに理由はなく「もう許そう」それだけでした。


「自分を許すことができないと他人も許すことはできない」

まさしくその体験でした。

不思議です。世間では、まずは他人からと教えられてきましたが、実際は自分からだったのです。

世間のいう他人を優先するとはやもすると、自分を犠牲にすることになります。

それでは本末転倒です。


自分を許し、自分を認め、自分を理解し、自分を愛す。

だから、他人にもそれを向けられる。

先ずは自分から。


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