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  • 執筆者の写真渡邊 優

他人の評価、これって、以前はものすごく気にしていました。

他人からどう見られているのか、どう思われているのか、馬鹿にされていないか、笑われていないか、見下されていないかなど、他人の評価で自分の価値が決まると思っていたのです。


じゃあ、自分は他人を評価していなかったのか?と聞かれると、いや、していました。

本人のいないところであれこれ評価して、悦に浸り「自分はまだマシだ」そのような安心感を抱いて、勝っているか、負けているかなど勝手に解釈し、自分自身に価値を感じていたのだと思う。


別にこれが悪いというわけではなく、人であれば通る道なのだと思います。


しかし、最近は以前ほど他人の評価を気にしなくなっている自分がいます。

このブログもそうで、皆んなにどう思われているんだろう、どう見られているんだろう、ダメだと思われていないか、馬鹿だと思われていないか、そんなことを考えてブログを書くのも嫌になり、蕁麻疹が出た時もありました。

そのとき選んでいた白パターンは、「もう他人の評価に囚われて、自分を苦しめるのはやめよう」でした。そして最近思うのは、他人の評価を気にしない、それは、「もう少し自分を信頼していい」というものです。


他人の評価に囚われて、自分自身を見失ってしまう、それは未だにあります。

しかし、それでも都度自分を立て直し、また新たに歩いていけばいい。

そうやって少しづつ信頼できる自分を作っていく。

繰り返すことによって育まれる自分への信頼。


それが、自他をもジャッジしないというところへ繋がっていくのだと思います。

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