• 渡邊 優

自分を見ていると、プライドがまだまだ高いな〜と思ういときがあります。

それは誰かに何かを言われたり、されたりした時、このプライドが出てきて、プライドを傷つけられた、プライドが許さないと言います。


また自分のプライドを守るためならなんでもするとも言います。

それは言い訳であったり、人のせいにしたり、他人を責めたりして、とかく自分が悪くないように、自分のせいにならないようにと、自分を守るための保身でもあるのです。


そしてこのプライドというもの、とても偏屈で頑固なのだと思いました。

どんな頑固さかというと、それはプライドが高いがゆえに、ごめんなさいと謝ることができなかったり、自分の間違いを認められなかったり、自分の弱さを認められなかったり、自他を許せなかったり、他人を認められなかったりと、プライドを守るための言い訳と防御に奔走します。


そう考えるとプライドって、自分を守る為の鎧であり、自分を大きく見せるための鎧なんだな〜と思いました。しかもその鎧は現実的ではなく、実態のない幻の鎧です。


この鎧を脱ぐのにはとても勇気がいるのだけど、重い鎧を脱いで、自分を楽にさせてあげよう。

そんな風に思いました。

最新記事

すべて表示

決める、ということがとても大事だと実感しています。 決められずにあれこれ考え、悶々としている時間が一番心身に不健康なのだと思いました。 しかしそこを経ないと、自分が本当にどうしたいのかがわからないのも、この私という人間なんだと思います。 それゆえに、これもパターンであったな、と思いました。 毎回思うのですが、一つのパターンを超えると一つ視野が広がり、見える景色も感覚も変わってきます。そして以前の自

自分に嘘をつく、ごまかす。 これって、すごいシンドイことなんだと思いました。 人間って本当によくできていて、自分を誤魔化しながら生きれるようにはできていないのだと思います。きっとそれを続けると、体を壊したり、心を壊したり、精神を病んだりするのだと思いました。 私は今一つの交差点に立っていて、どちらに行くかと悩んでいます。 色々なパターンがごちゃごちゃになって、今しっ散らかっている状態ですが、答えは

自分の思考を観察していると、正しいか間違いか、損か得か、そういった物差で物事を判断しているように思いました。正しく、得であれば良い決断で、間違っていて、損であれば悪い決断として結果を判断しているのだと思います。要は自分にとっての、正しくて得する決断に執着しているのだと思いました。きっと成長とは、この結果に執着しないことなのだと思います。言い換えるならば、自分の間違いも損も受け入れられるということで