top of page
  • 執筆者の写真渡邊 優

パターンは説得できないのだと思います。いや寧ろ、説得しようとすればするほどパターンは拗ねます。「何だよ、分かってくれね〜のかよ!」と。


パターンという存在を知らない時、何か嫌なことを誰かに言われたり、何か問題があったとき、無理やり自分を説得しようとしていました。あいつはああだから、こいつはこうだから、みんなそうだから仕方ない、だから諦めるしかないんだよと。しかし本心は、納得がいっていなかったのです。


今思えば何に納得がいっていなかったのかと考えると、きっと自分の方が正しくて、相手が間違っていると思っていたのでしょう。もしくは自分の方が上で、相手を下に見ていたのでしょう。だから納得も理解もできなかったのだと思います。


そんな腑に落ちない思いはストレスとなり、お酒が増えていました。どんなに表面的に自分を説得しようとも、自分を誤魔化すことはできなかったんですね。だから、ストレスとなり、お酒も増えていたんだと思います。そう考えると、人間の心(パターン)は正直で、自分に何らかのサインを必ず出してくれます。そのサインを、今は大切にしていこうと思います。なぜなら、大事なパターン達の叫びだから。


パターンは説得するものではなく、理解して受け入れるもの。

そうすると不思議と落ち着いていくのでした。

最新記事

すべて表示

2ヶ月ぶりのセミナーに参加しています。 いつもの2ヶ月よりも随分と時間が経った気がします。そしてこのセミナーでまたモチベーションを上げて、粛々と自分と向き合い、ケアできていなかったパターンをケアして、新たな白パターンを選んで行動していく。それは実はすごく単純なことだと思いました。 きっと難しくしているのは私のパターンで、まだどこかで自分のパターンを許しきれていないパターンがあるのだと思います。 そ

こう書くと誤解を招くかもしれませんが、自分に起こる出来事って、自分で招いているのではないか?と思っています。私が最近騒いだパターンで、利用されたくない、というものがあります。ですが、ハッキリと断らなかったり、NOを突きつけなかったのは自分の問題で、どうぞ私を利用してくださいと自ら表明しているようなものだと思いました。 私自身この学びをしていると、誰でも受け入れられて、誰にでもいい人で、素晴らしい人

哲学の大事さを最近痛感しています。 哲学というと難しく考えがちですが、例えば、自分にとっての仕事とは、家族とは、友人とは、成長とは、趣味とは、など、生きていく上での指針となり、また過去の体験や学びから導き出された、自分の規範ともいうべきものです。 そこをちゃんと考えて、今後の自分の生活や仕事に活かしていく。そうして初めて哲学というものが生きてくるのだと思いました。そこは考えるだけでも、座学だけでも

bottom of page