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  • 執筆者の写真: 渡邊 優
    渡邊 優
  • 8月4日
  • 読了時間: 2分

パターンは安心が欲しいのだと思います。

認められることで安心したり、受け入れられることで安心したり、他人と比べ自分が優っていることで安心したり、愛されることで安心したり、分かってもらうことで安心したり、褒められることで安心したりと、自分では安心感を得られないので、安心を誰かから貰おうと思っています。だから、パターンには「私」がしっかり語ってあげることが必要なのだと思います。で、語ってあげることでパターンは少し安心し、溜飲が少し下がります。これが、パターンを救う行為だと思いました。


そして思うのは、この安心感は誰しもが求めているのではないか?ということです。

お金があれば、家族がいれば、友達が沢山いれば、家があれば、出世すれば、高学歴なら、一流企業に就職すれば、資産をいっぱい持てば、誰にでも認められるすごい自分になれれば安心できるというものです。しかし安心できないのがパターンです。パターンでいる限り、一生安心できないのだと思いました。ここが、「私」かパターンかの違いだと思いました。「私」には資質があります。理解や受容や優しさはもちろんですが、自分を律する意志力や強さ、聡明さ、健康など、自らが働きかけることで得られる安心感があると思います。だから安心とは、誰かにもらうものでも、得るものでもなく、自ら育てるものだと思いました。


それにはまず、パターンを安心させてあげること、そこが出発点のように思います。

 
 
 

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