- 渡邊 優
- 2024年11月13日
- 読了時間: 2分
大きなパターンに気づき、ケアをし、パターンが安心すると、まるで憑き物が取れたように肩の力が抜けます。そんな体験を久しぶりにしています。ということは、ずーっとパターンでいたということ。
大きなパターンであればあるほど、飲まれたときの苦しさは相当に感じます。
今回特に大きかったパターンは「怒られたくない」というものですが、このパターンでいるとまず他人が怖いです。そして信用ができません。なぜなら他人とは、自分に怒りをぶつけ、否定し、心身の自由を奪い、壊す存在だとパターンは思っているからです。
と同時に他人への怒りや憎しみも生まれます。その負のエネルギーは最たるもので、それこそ心身を蝕みます。
と、こんな一連の流れを経て、パターンをケアし、そして今「もしかしたら、怒られたくないと、もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」をマントラのように唱えています。
この「もう、決めつけなくてもいいのかもしれない・・・」の中には沢山の意味が含まれています。それは、他人とは自分に怒りをぶつける存在だと、否定する存在だと、心身の自由を奪い壊す存在だと決めつけなくてもいいのかもしれない。怖い存在だと、信じられない存在だと、憎たらしい存在だと、決めつけなくてもいいのかもしれない。そんな沢山の包括した意味を感じます。
だから、次への階段なのだと思いました。
人は沢山のパターンを今までの人生でこしらえます。
パターンの違いはあったとしても、そこから学ぶことも確かです。
特に私の場合は、経験を通してでしか中々学べないのだとも思いました。
だから私は、パターンを通して学んでいるのだと思う。
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