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  • 執筆者の写真渡邊 優

今まで度々、他人の愚痴や不満に付き合って自分が疲弊することがよくありました。しかも1度や2度ではなく何回かあったので、なんでそうなるのかとよく自分を見て考えると、そこには、他人に認められたい、受け入れられたいというパターンが、それを欲しいがために自分を差し出していたということに気がつきました。そうやって自分を差し出すことによって、それが得られるとパターンは思っていたのです。


これは他にもまだあると思います。

嫌われたくなくて、自分を差し出す。良い人と思われたくて、自分を差し出す。愛されたくて、大切にされたくて、自分を差し出す、そうやって自分の尊厳を捨てて、パターンは自分を差し出すんです。


なんて馬鹿なことをしてきたのだろう・・・自分に申し訳ない思いが込み上げてきました。


これからはもう自分を差し出さない。

そう胸に刻むのでした。



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