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  • 執筆者の写真渡邊 優

他人から気付かされたパターンで、舐められたくない、というパターンがあります。

他人から軽く見られたり、見下す扱いを受けたり、マウントされた時に発動するパターンです。

そうされた時、パターンは言います。舐められたら負けだ、それは奴隷になるのと一緒だ、それではこの世の中生きていけないと。そして酷く侮辱されたと感じ、強い怒りと腹立たしさと復讐心を抱き、時には償えとさえ言います。それほど、他人から舐められるということが許されないのです。


なぜそうなったのか?を考えた時、きっと他人から舐められたことで酷く傷ついたり、裏切られたと思ったり、悲しい思いをしたことがあったのだと思うんです。

怒りは第二の感情と言われます。怒りの下には悲しみや寂しさが必ずあると。


今はこの子「もう誰にも舐められたくない」というパターンと共にいて癒し、救っていこうと思います。ずっとそこにいていいと。


本当の「私」には癒しの力がある。

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